イラストで知るジョージア

神様の土地を授かった国。

北には万年雪に覆われた雄大なコーカサス山脈、西には温暖な黒海。手つかずの自然が残る壮大で美しい景色は、世界を知る旅人でさえ息を飲むほどです。ジョージアには、こんな言い伝えがあります。神様が、世界中の土地を民族に分け与えた天地創造の際のこと。ワインを酌み交わし、歌をうたい、宴に興じていたジョージア人たちは、神様から土地を分け与えられる約束の時間に遅れ、土地をもらうことができませんでした。彼らは神様に訴えました。「私たちは、神様に感謝の祈りを捧げ、平和を祈り、友人や家族や祖国の幸せを祈って宴を開いていたのです」と。すると神様は言いました。「それは素晴らしい。では私のために残しておいた美しい土地を少し分けてあげよう」。ジョージアの人々は、こうして神様から授かった土地を今も大切に守り続けているのです。

世界遺産の美しき村、自然が謳うウシュグリ村。

ギリシャ神話に峻嶮な山として登場するコーカサス山脈の南麓。白い峰々を背景にした緑の谷に、石造りの塔が建ち並ぶウシュグリ村はあります。人口わずか200人ほどの小さな村全体が、ユネスコの世界文化遺産に登録されています。要塞のような塔状の家々は、雪深いこの地ならではのもので、かつては攻めてくる敵から家族や家畜を守るためのものだったともいわれています。そんな歴史も今は昔。ほのぼのとした光景に癒される美しい場所です。標高は2410メートル。人が暮らす村としては、ヨーロッパで最も高いところに位置するといわれています。

まだ馬が交通手段だったりする地域もあります。

昔からの生活様式が守り継がれているジョージアでは、馬や羊、牛、ヤギなど動物たちが人々の日常に寄り添って暮らしています。首都トビリシでさえ、街中を悠々と歩く馬の姿に出会うことも珍しくありません。ジョージアの最高峰・シュハラ山に抱かれるように佇むウシュグリ村では、昔ながらの牧畜生活が今も営まれています。車の代わりに牛が橇(ソリ)を引き、馬は大切な交通手段のひとつ。小さな子どもでも楽々と乗りこなします。豊かな自然の中、のんびりと草を喰む牛や馬たちに囲まれた暮らしが、今もこの国には息づいているのです。

周辺諸国からの侵略を乗り越えてきたジョージア。

コーカサスの小国ジョージアは、東と西の文化に彩られた美しい国として知られています。ギリシャ神話にも登場し、ジョージア人は世界でもっとも古い歴史を持つ民族のひとつともいわれます。しかし、長い歴史は、そのまま侵略の歴史でもありました。シルクロードの西の端に位置し、交通の要衝でもあったジョージアは、ロシアやモンゴル、トルコ、ビザンチン、ペルシャなど周辺の国々からの脅威に絶えずさらされ続けてきたのです。「負ければ終わり」。数えきれないほどの受難に見舞われながらも、不屈の精神で戦い続けてきたジョージアの人々。長い侵略の歴史を乗り越えてきたからこそ、他に類を見ない魅力的な文化や芸術を生み出したともいえるのです。

武士道に通じるジョージアスピリット

長い歴史の中で、たえず外敵と戦ってきたジョージア人の精神の根底には、日本人にも通じる尚武(しょうぶ:武道・武勇を重んじること)の心意気が宿っています。勇敢で潔く、一方では情愛を尊重し、仲間や家族をとても大切にします。かつてチフリスと呼ばれたジョージアの首都トビリシに滞在したマルコ・ポーロは、『東方見聞録』の中でジョージア人のことをこう称賛しました。「容姿端正で性質は武勇、弓箭(きゅうせん)の技にも長けた優秀な戦士である」。男性の民族衣装のひとつ「チョハ」は、戦闘時に着用したもので、胸部には弾帯、腰には日本の武士と同じように剣を差しています。これは、日本のアニメ映画『風の谷のナウシカ』に登場する戦闘服のモチーフになったともいわれています。

歴史に残る奇跡の逆転劇 ディドゴリ戦争。

ジョージア人が最も尊敬する偉大な王として名を残すダヴィド4世。即位後すぐに北コーカサスのモンゴル系民族、キプチャク人を集めて傭兵を組織するなど、天賦の才を発揮し大胆な軍制改革でジョージアを強固な国に変えていったのです。数々の壮絶な戦いの中でも「奇跡」と語り継がれているのが1121年、トビリシの西40㎞のディドゴリでの戦争です。60万ともいわれたセルジューク・トルコ軍に対して、ジョージア軍はわずか4万5千人。この圧倒的不利な状況の中、精鋭200人を刺客として送り込むなど、天才的な戦略によって見事撃退、勝利をおさめました。この戦いによって、ダヴィド4世はキリスト教勢力の救世主“メシアの剣”と讃えられるようになったのです。

ジョージアの黄金時代を築いたダヴィド4世と孫のタマル女王。

1089年、父のゲオルギ2世から王位を継承し、弱冠16歳で国王になったダヴィド4世は、ジョージアの最も偉大な王といわれています。ディドゴリ戦争に代表される戦いの功績だけでなく、数々の教育施設を創設。ジョージア王国の文化発展にも貢献しました。世界遺産にも登録されているゲラティ修道院とそこに併設されているアカデミーは、ジョージア人にとってとても大切な聖地のひとつです。それは建設王とも呼ばれたダヴィド4世によって建てられたものであり、彼が眠る場所でもあるからです。1184年、父・ゲオルギ3世から王位を継ぎ、ジョージア史上初の女性国王となったタマルは、ダヴィド4世の孫娘です。彼女はセルジューク朝を駆逐して、南コーカサス全域に領土を拡大、ジョージア王国の最盛期を築き上げました。タマル女王が国を治めていた12世紀頃は、ジョージアが唯一平和だった時代、黄金期といわれています。ジョージア人が今も深く愛し、その一節を暗唱し、生活律として心に刻む中世の長編叙事詩『豹皮の勇士』は、宮廷詩人だったショタ・ルスタヴェリがタマル女王に捧げたものでした。そこに描かれる太陽よりも美しく強い女性像は、すべてのジョージア人が尊敬し、憧れる女王タマルの姿そのものです。

聖人ゲオルギウスは、誇り高きジョージアの英雄です。

ジョージアの国名のもとになったといわれているのが「聖ゲオルギウス」です。トルコのカッパドキアで生まれたローマ軍兵士で、人喰い龍を退治して王女を救ったという伝説で知られています。この武勇伝が十字軍によって各地に広まり、ジョージアの人々の間では、古来から英雄として崇められてきた守護聖人です。ドラゴン退治のエピソードは、様々な絵画にも描かれているほか、ジョージアの国章にもデザインされています。ちなみに「ジョージア」は英語の読み方で、国民たちは自分の国をジョージア語で「サカルトヴェロ」と呼んでいます。古くからこの土地に住む「カルトヴェリ人」の住む国という意味だそうです。

キリスト教は聖人ニノによってもたらされました。

4世紀の初め、ジョージアにキリスト教を伝えたのが聖ニノです。カッパドキアから現在のジョージア東部にあったイベリア王国を訪れた彼女の手には、2本のブドウの枝を自分の髪で結わえて作った十字架が握られていたと伝えられています。ジョージア正教会のシンボル「ブドウ十字架」は、「聖ニノの十字架」とも呼ばれ、水平な部分が人の腕のように垂れ下がっています。これは彼女が手にしていた十字架を表し、今も首都トビリシのシオン聖堂に大切に保管されています。ジョージアの女性に「ニノ」という名前が多いのは、彼女の名にあやかってつけられたもの。聖女ニノは、今もジョージア人の心の中に生き続けているのです。

文化と学問の聖地に建つバグラティ大聖堂。

ジョージアの初代国王、バグラト3世によって10世紀後半から11世紀初頭にかけて建てられたバグラティ大聖堂。中世ジョージア王国の首都として栄えたクタイシの町を見下ろす丘に建っています。バグラティ大聖堂は、同じ地区にあるゲラティ修道院とともに、長きにわたり文化的・学術的な中心地としての役割を担ってきました。当時、修道院付属の王立学校で行われていた教育は、中世において最も高い水準だったといわれています。17世紀にはオスマン帝国の砲撃を受け、一時は外壁を残すのみの廃墟となっていました。1952年から保存と再建が始まり、2001年には正教会の聖堂として復帰。クタイシのシンボルであり、中世ジョージアの建築様式を今に伝える建造物として変わらない荘厳な姿を見せています。

ジョージアの国教は、キリスト教です。

キリスト教は、4世紀初め、聖ニノによって伝えられました。ジョージアは、隣国アルメニアに次いで2番目にキリスト教を国教とした国です。キリスト教の中でも、国民の半数以上が信仰しているのがジョージア正教。キリストの体であるパンと、血であるワインをいただいて、神と一つになる聖体儀礼が特徴のひとつです。長い歴史の中、幾度となくイスラム勢力の侵入に悩まされながらも、ジョージアの人々は頑なに敬虔なキリスト教徒であり続けました。イスラムに侵略された時も、イスラムの教えでは禁じられているワイン造りを続け、一度たりとも止めることはありませんでした。これは、ワインが神とつながるために欠かせないものであり、ジョージア人の誇り、アイデンティティであったからなのかもしれません。

ワインは国の宝、ブドウはジョージアの魂。

ジョージアには500種を超える固有のブドウ品種があるといわれています。地方によって栽培されている品種は異なりますが、代表的なのはカヘティ地方で栽培される白ブドウのルカツィテリ種や黒ブドウのサペラヴィ種などです。数千年の歴史があるといわれるこれら固有種の大部分は、自家用のワインを造るために家の庭先で細々と育てられ、その命脈を保ったと考えられています。外敵の侵略にさらされたときも、ブドウを守るために苗や木を持って逃げたといわれるほど、ジョージアの人々はブドウをこよなく愛してきたのです。9月上旬から10月にかけてブドウの収穫期を迎えると、いよいよワイン造りが始まります。

歴史を超えて伝わるクヴェヴリ製法。

8000年の歴史を持つワインは、いつの時代もジョージアの人たちの暮らしの中にありました。「クヴェヴリ」と呼ぶ素焼きの壷を裏庭などに埋めて造る太古からの素朴な醸造法が、今も変わらず続けられているのです。クヴェヴリが埋まっているところを「マラニ」といい、マラニの場所を決めるときには、牛や羊など家畜を放して彼らが夜、眠った場所にすると良いという言い伝えがあります。きっと動物にとって居心地の良い場所は、ワインにとっても気持ちの良い場所なのでしょう。地中に埋めたクヴェヴリの中には、ブドウを搾った果汁とともに果皮や種、果梗も入れられます。やがてクヴェヴリの中で自然に発酵が始まり、上下の温度差でゆっくりと循環し、ワインができあがるのです。大地に育まれたブドウと素焼きの壷、自然の素材だけで醸されたワインは、どこまでもピュアでナチュラル。それは、家族や親しい友人のために造り継がれてきたものだからなのです。

クヴェヴリの中でワインは生きている。

ワイン造りに用いられるクヴェヴリは、太いひも状にした粘土を、丹念に積み重ねて造られた素焼きの壷です。素材の粘土は、ジョージアの限られた地方でしか採れない特殊なもので、石灰を多く含んでいるのが特徴だとか。内側は殺菌効果のある蜜蝋でコーティングされ、外側には石灰と川砂を混ぜたものが塗られています。熟練の技が必要なクヴェヴリ造りの職人は、今やジョージアにも数人しか残っていないといわれています。石灰を含んだキメの粗い土からできているクヴェヴリは、地中でも酸素を通します。卵を逆さにしたようなまぁるい形のおかげで自然な対流が生まれ、ブドウの果汁は約半年間、ゆっくり呼吸をしながら発酵熟成してワインになっていくのです。この卵のような姿が母胎にも似ていることから、ジョージアでは、ワインを「造る」といわず「育てる」ともいわれます。クヴェヴリによる伝統製法は、2013年ユネスコの世界無形文化遺産にも登録されました。

挨拶は「ブドウ畑の調子はどうだい?」。

ジョージアのワイン文化は、8000年続くとも伝えられています。ブドウ栽培もまた、営々と受け継がれ、人々の暮らしを支えてきました。ブドウ農家の人たちのあいさつの話に、ちょっと驚き、そして微笑ましくなりました。彼らは出会うとまず「ブドウ畑の調子はどうだい?」「こっちは順調さ。そっちもうまく育っているかい?」と、お互いのブドウ畑を案じるのです。それから「奥さんやお子さんは元気かい?」と、次に家族や子どものことを尋ねるのだそうです。ジョージアのブドウ農家の人たちにとっては、ブドウは子どもや親兄弟と同じくらい大切なものなのですね。

石油とワイン、どっちをとる?

ある時、国中がこんなニュースに湧いたことがありました。「掘れば石油が出るかもしれない」。東隣のアゼルバイジャンは、産油国として急成長し、第2のドバイともいわれています。その西にあり国境を接するジョージアに、石油が出ても不思議ではありません。もし出れば、国民の暮らしも豊かになるはずです。ところが「石油を掘るな」という反対の声が上がったのです。なぜなら、もしも石油を掘って水の流れが変われば、土壌も変わる。これまでのようにブドウが育たなくなり、ワインも造ることができなくなる。ワインを失うくらいなら、お金持ちになどなれなくていい。人々はそう考えたのです。そして国民投票の結果、石油開発は否決され、ブドウは守られたのです。度重なる外敵からの侵略で、国が焦土と化しても、その度にブドウの木は甦り、人々の暮らしを守ってきました。ジョージアの人たちにとってブドウは誇りであり、ワインはお金にも代え難い宝物なのです。

かのルーズベルトも絶賛したジョージアワイン。

第二次世界大戦末期の1945年、黒海の北岸、クリミア半島の保養地ヤルタに、米英ソの三首脳が集まって開かれたヤルタ会談。夕食のパーティーでふるまわれたのは、ジョージア生まれのスターリンが選んだジョージアワインでした。英国のチャーチル首相は「生涯に渡って買い占めたいほどだ」と絶賛し、米国のルーズベルト大統領は、あまりのおいしさに「ブドウの苗を分けて欲しい」とまでいったとか。もちろんこの申し出には「NO」。その代わり、400本のワインが贈られました。自慢のワインをほめられたスターリン、きっと鼻高々だったことでしょう。

男性は勇壮で激しく、女性は優美で気高く。

ジョージア人は踊りが大好きです。民族舞踊には、とてもたくさんの種類がありダンスフロアのあるレストランも多く、祭典や結婚式などには欠かせないものになっています。女性の踊りは優美で気高くしなやか。それとは対称的に男性は勇壮で激しく、高く飛び上がって空中で回転したり、刀剣を合わせて火花を散らします。男女のグループが組み合わされてのダンスは、心を揺さぶる美しさで、何度観ても飽きることがありません。男性は戦闘服を起源とする「チョハ」、女性は「カバ」と呼ばれる刺繍や装飾のついた色鮮やかな民族衣裳を身にまとって踊ります。この伝統的な衣裳がとてもファンタジックだとして、今、世界中から注目を浴びています。

ジョージア人は歌うことも大好きです。

ジョージアの宴に、歌や音楽は欠かせません。伴奏によく使われる民族楽器のひとつがジョージア版ウクレレ「パンドゥリ」です。3弦のリュート型弦楽器で、音の高い方から順にパンドゥリ、チョングリ・パンドゥリ、バス・パンドゥリの3種があります。アコースティックギターやウクレレと同じように、指と爪で弦を弾いたり、かき鳴らしたりして演奏します。独特の音色で奏でられる民謡の凛としながらもどこか悲哀を感じさせる旋律の美しさは、聴くものすべてを魅了します。

放浪の天才画家 ピロスマニ。

「ジョージアに私の絵は必要ない。なぜならピロスマニがいるから」。ピカソがそう絶賛したニコ・ピロスマニ。パンやワインと引き換えに、絵や看板を描いてその日暮らしをしていた貧乏な画家だった彼は、ある時、フランス人の踊り子に恋をします。想いを届けるため、少ない財産をはたいて買ったバラの花で、彼女が泊まるホテル前の広場を埋め尽くしました。恋が実ることはありませんでしたが、彼女をモデルに描いた「女優マルガリータ」は、彼の代表作となりました。この逸話は、日本でもヒットした「百万本のバラ」という曲でも知られています。ピロスマニが生まれたのは、ワイン産地としても有名なカヘティ地方。故郷を出てからも、ブドウ畑や羊の群れなど、終生カヘティの風景や暮らしを描き続けました。没後、国民的画家として愛されるようになった彼の肖像は、ジョージアの通貨1ラリ紙幣にも描かれ、名も知れず清冽に生きた彼の半生は、映画「放浪の画家 ピロスマニ」という映画にもなっています。

飲んで食べて歌う、ジョージアの宴会 スプラ。

お祝いの時や客人をもてなす時、ジョージアでは、「スプラ」と呼ばれる酒宴を開きます。あふれんばかりの料理とワインと歌で繰り広げられる宴に欠かせないのが「タマダ」と呼ばれる司会進行役。スプラは、タマダによる言祝ぎのあいさつから始まり、初めの乾杯は集まった人たちの友愛に捧げられます。「ガウマルジョス!」という乾杯の発声に合わせ、一気にワインを飲み干すのが習わしです。乾杯は一度だけではありません。神に、平和に、家族に、祖国に、愛に、健康に…。宴の途中にも幾度となく繰り返されます。酔いつぶれないこと、話が上手で、歌が上手いこと。それがタマダの必須条件といわれます。ジョージアの男性にとっては、大きなスプラのタマダに任命されることは名誉であり、ステイタスでもあるのだとか。友情や愛、平和を祈って飲み、食べ、歌う。ジョージアの人々にとって、スプラは絆を深めるための大切な宴なのです。

男の料理、ムツヴァディ。

自然が育む豊かな食材に恵まれたジョージアは「美食の国」ともいわれています。ジョージア人は食べることも飲むことも大好きです。肉料理といえば、真っ先に名前が挙がるのが伝統料理のムツヴァディ。牛や羊、豚などの塊肉を串に刺して焼くだけの豪快な料理です。普段は「男子厨房に入らず」のジョージア人ですが、これだけは別。集めたブドウの小枝を燃やして火を熾し、ぶつ切り肉をダイナミックに焼き上げるのは、ジョージアの男の仕事です。ブドウの小枝からほのかに立ちのぼる芳しい香りが食欲をそそるジューシーで素朴な肉料理は、ジョージアワインのピュアなおいしさによく似合います。

長寿の秘訣はチャチャ!?

豊かな自然と温暖な気候に恵まれたジョージアは、野菜や果物、乳製品など多彩な食材にも恵まています。その恩恵を受けて暮らすジョージアの人々は、とても元気で長生き。100歳近くになっても、せっせと畑仕事に精を出す人も少なくありません。その秘密はどこにあるのでしょう。日本ではカスピ海ヨーグルトとして知られる「マツォーニ」は、ジョージアの伝統的な食べ物のひとつ。発酵乳製品の「ケフィア」もコーカサス地方が起源と言われ、子どもの頃から食べている人が多いようです。また、かつて世界最高齢といわれた132歳の女性は「長寿の秘訣は?」という問いに、いつもこう答えていました。「毎朝、仕事の前に飲むチャチャが、私の元気の源なのよ」。チャチャとは、ワインを造った後のブドウの搾りかすからできる60度以上もある、とても強いお酒です。伝統的な製法で醸されるジョージアのワインは、タンニンやビタミンがとても豊富。抗酸化作用があることで知られるポリフェノールも多く、老化防止やコレステロールの低減を助けてくれるともいわれます。食は命の源。乳製品やブドウから造られるお酒が、ジョージアの人々の健康を支えているのかもしれませんね。

分かち合い、助け合う心が生きている国。

「友を持たないのは罪である」。ジョージアには、そんな言い伝えがあります。経済的にはまだまだ慎ましやかな国かもしれませんが、人々の心はとても豊かです。ことあるごとに宴を催して友情を深め、家族や祖先、聖人に感謝を捧げます。ジョージアの人々は「客人は神様からの贈り物」、だから「客人なしに、人の幸せは成立しない」とも言います。たとえ自分の家にお金や物がなくても、客が訪ねてくれる日には、隣人や友達から借りてでも温かくもてなします。困っている時はお互い様。手をさしのべ、食事やワインを分け合い、助け合う。そんな心を今も持ち続けているジョージアの人々は、忘れかけている本当の豊かさを思い出させてくれるのです。

ゲストは神様からの贈り物。

ロシアとイスラムの様式が混在し、歴史的な建造物や牧歌的で美しい街並みが残る首都トビリシ。市街地のどこからでも見上げることのできるソロラキの丘に「ジョージアの母の像」が立っています。右手に剣、左手にワインの杯を持ったその姿は、敵には剣を持って勇敢に立ち向かい、客や友は心からもてなすというジョージア人の精神を表しています。この国では“客人は神様からの贈り物”といわれ、初めて会った人でさえ、まるで旧知の友のように迎え、手厚くもてなします。ジョージアの母像は、ジョージア人のあふれるおもてなしの心=ジョージアン・ホスピタリティのシンボルとして、慈愛に満ちたまなざしで、街の人々の暮らしをいつも見守っています。